N10  この物語はフィクションで 学校名 個人名 団体名は全て架空のものです。
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  N09   N11 

 一か月後の10月
市民大会の抽選結果を聞いて驚いた。
「また、ですか?」
 そう。また旭ヶ丘小学校との対戦なのだ。
強豪校の一角で6月に38対2で全く歯が立たなかった相手だ。
 剛はガックリ来た。せっかく、ちょっと強くなって子どもたちに自信が出てきたときに・・・

 同じチームと対戦するのは抽選ではわりとよくあることだ。年度が変わったのにまた同じチームとなんてこともある。そして一度大差をつけられて負けると次に勝つことはかなり難しい、年度が変わったらメンバーは違うのに実力的には勝てるはずなのに負けてしまった。という話はよく聞く。ましては同じメンバーで半年足らずしか時間がたっていないのである。
 
 11月。さらに悪いことが起こった。試合一週間前近くのその日、谷村絵里がケガをした。手首の捻挫である。水入りバケツで冷やしてもらっている間に保健の先生はいるかなと保健室に行ったがあいにく、保健室にはいない。職員室に行くと出張で近くの学校に行かれているというのが黒板に書いてあった、教頭先生に
「戻ってこられます?」と聞くと
「確か 『戻ってくる。』と言ってたけど遅いな・・」電話がなった。ちょうど保健の先生から今日は直帰(職場に戻らないで直接帰る)の電話だった。
「あっちょっと待って。今、古富先生が先生に用事があるみたいで」
電話をかわっていただいた。
「いやミニバスの谷村が捻挫したみたいなんですけど・・ 大丈夫です。たいしたことないみたいだし。こっちで対処します。」
お手数をかけるわけにもいかないのでそう言って電話を切った。

体育館に戻ってみると絵里の姿がない。
「絵里はどうした?」と聞くと
「家、近いから自分で帰れるって言って帰りました。」
「エッ?」

慌てて追いかけたが もう追いつかない。

谷村絵里の家に電話をかけた。
「あっ、先生。」
「もう、勝手に帰っちゃダメじゃないか!」
「だって、痛かったんだもん。」
「そうか、痛みはどうだ?家の人は?」
「少しまし。今私だけ。」
「そうか。じゃ帰って来られたらきちんと相談してお医者さんにいくんだぞ。お金は保険で出るからと家の人にも伝えておいて。わかった?」
「はい。」
 そして、遅くにもう一度電話して家の人に状況を説明し病院での結果を聞こうと思ったが

「先生、今日は私が帰ってきたのがついさっきなので一日様子を見て、明日になってもまだ痛がってるようなら朝、病院に連れていきます。」
とのことだった。
 次の日も痛みは治まらないので、午前中に病院に行った。捻挫ではなく、シャ骨の骨折であった。当然一週間後の試合に出られない。谷村も10人の中に入るメンバーだ。
お医者さんの判断は 全治2か月。

「たいしたことない」なんていう素人判断が全然、違った。
冬の大阪大会にも出られない。・・・

しかし 絵里は 持ち前の明るさで
「私が出られない分、みんながんばって!わたし、スコア係でがんばるから。」

 市民大会当日。試合直前、剛は試合前の練習を見ていた。それは、当時どのチームもしていた四角パスだが5か月前とは比べ物にならないくらいうまくなっていた。

そして自分自身に言い聞かせた。 

(もう 6月のチームではない。
ユニフォームも買った。膝にはサポータもはめている。夏休み練習をいっぱいした。
ピボットもできる。肘をはってボールをキープすることだってできる。
技術的にはまだまだだが、敵味方どちらのボールでもないルーズボールを
マイボールにしてやろうというボールに対する執着心だけはどこにも負けない。
9月の大阪ブロック大会では優勝だって したのだ。
 ゾーンプレスに苦しめられてもどうすれば良いかは分かっている。
相手のプレスより早くパスを出せばいいのだ。
もしダブルチーム(今はトラップディフェンスというらしい)にされても慌てない。
慌ててフェイクディフェンスにひっかかれば相手の思うつぼである。いつもボロ負けはするが豊中No1、そしておそらく大阪No1の千里中央小のゾーンプレスに対しても
練習はしてきたのだ。

そして石上コーチもいてくれる。)
子どもたちにもそう励ましてコートに送り出した。

いよいよ試合が 始まった。


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