N08  この物語はフィクションで 学校名 個人名 団体名は全て架空のものです。
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 次の日。剛は別の仕事もあったのでいつも通り朝から学校に行った。緑北小学校は運動場が職員室から見える。偶然、運動場を見て驚いた。その光景はビデオ作成ソフトの映像効果かパワーポイントのアニメーション効果のように中心からボーっと明るくなって全体がはっきりした。子どもたちが10人以上テニスコート兼バスケットボールコートで練習している。お茶タオル持参なのがわかった。
  

「何してる?」
 剛は、分かり切っている質問をしてしまった。キャプテンの平島美香が動きをとめて大きな声で言った。
「自主練です。集まれるメンバーで練習しないと夏休み もったいないし。」
それに返す言葉がなかった。

中崎真由子が剛のところまできた。顔を見ると涙をためていた。
やっと聞き取れる小さな涙声で
「先生、練習止めないで。私もっとがんばるから。」
「・・・」
しばらく何も言えなかった。子どもたちの熱意に感動していた。
真由子は今度はさっきよりも大きな声で
「私だけじゃなく、みんなも頑張るって言っています。やめそうな子もいるけど部員が10人以下になることはないから、バスケットを止めちゃうなんて絶対考えないで!
・・でないと私、バトミントンを止めてバスケットを始めて、夏の家族旅行もやめてもらった意味がなくなるから。」
涙声ではあるがはっきりと言った。

(真由子は全部 お見通しだ。)
そう思った。

「・・・よし、こんなところじゃなくて ちゃんと体育館で練習しよ。」
 剛はテニスコートに響き渡る声でそう言いながら 昨日止めることばかり考えていた自分を恥ずかしいと思った。

 それからの子どもたちは変わった。夏休みで2人の子は止めたがバスケットが好きという子が18人も残り、夏の暑い日でも声をかけあって練習をしだした。友だちのことをへんに噂することもなくなった。

 2週間後 とうとう一回目の奇跡が起きた。
練習試合に呼んでもらってよく行く茨木市の小学校で1日練習試合ができた。1試合目に負けて第2試合目、前に「勝ち損ねた」新しい4、5年中心のチームとのリベンジ対戦だ。3か月前は10対12で負けたが今回は20対12で勝つことができた。身長差があったので今度は勝てるだろうと思っていたが、それでも子どもたちは初勝利を喜んだ。
3試合目は負けたが奇跡というのは第4試合である。6年生中心の身長差もない結構強いチームに18対16。接戦の末、勝ったのである。子どもたちは本当に喜んだ。嬉しくて泣いている子もいた。
「ただの練習試合なのに涙が出てきて止まんない。」
そう言っていた。

 実はうちに有利な条件があった。
小学校の体育館はそんなに大きくないので公式の対外試合は縦の全面つまり体育館全部を使って一試合ずつ行うのが通常だが、その日は多くの試合をするために体育館で横の2面 つまり2試合同時に試合を行った。
 学校の授業は45分しかないので多くの試合ができるようにコートとゴールが2面、横方向にあって、対外試合などのために縦の全面用のコートと移動式のゴールがあるのが通常である。その狭いコートを使って試合をしたので、うちがしているゾーンプレス(相手はマンツーマン)は特に有効だったのである。狭いコートだと前に前に出るゾーンプレスの圧迫感がある。それに もしそれが破られても違うメンバーがゴール下まで戻る距離が短いのでディフェンスができるし、体力もそれほど消耗しないというわけだ。

 剛は、子どもたちにそんなことは口にしないで、
「すごい!強いチームにも勝ったじゃないか!やっぱり勝利の女神は自主練までしてうまくなろうとする君たちの味方だよ。」
そう言った。

 9月になり、2回目の公式試合。大阪府のブロック大会が近づいた。この大会は冬の大会のシード権がかかっている。つまり全登録チームを16ブロックに分けこの大会で優勝すると冬の大会にシードされる、そしてできるだけ同じ市同士はぶつからないように責任抽選がされている。責任抽選というのは各チームがくじを引くのではなく組織の役員の方で様々なことを考慮して抽選するのである。
「同じ市同士ぶつからないということ」以外にも強豪校同士が当たらないようにということもあらかじめ考慮されていた。
 つまり試合をする前からこのブロックはここが優勝するだろうそして冬の大会にシードされるだろうということがある程度決まっているのである。うちのブロックは当時高校野球で超有名だったPF学園が優勝候補だった。小学校もあったんだということを驚くと同時に私学で優秀な指導者をつれてきて練習している。
(PF学園に勝つのは難しいだろうなあ。しかし、そこに当たることをまず目標にしよう。)
そう思っていたが、子どもたちも
「エッ PF学園? むっちゃ強いんちゃうん?」

 ネームバリューとはすごいものである。
 しかし、その当時は高校野球では知らない人はいない超有名なその学校の野球部も20数年がたって廃部になっている。
 またミニバスケットでいえば当時の小学校の全国大会の常連校。そして全国優勝までしている上津島西小のミニバスケットボール部は現在チームがないと聞いている。子どもが少子化で集まらないのだ。子どもは毎年変わる。コーチも都合で変わることもある。地域の環境が変わる。学校の体制が変わる。社会が変わる。変化の激しい社会にあって学校のスポーツチームを続けていくということはどんなチームにとっても大変なことなのだ。

 ブロック大会は一会場に8校程度しか来ないので3回勝てば優勝である。1回勝っただけでも一応 3位の賞状がもらえる。もし1回戦で負けても敗者戦があるのでそこでも勝つチャンスがある。決勝に残ることより、とにかく1勝をめざそう。そう思った。

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