N06  この物語はフィクションで 学校名 個人名 団体名は全て架空のものです。
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 季節は、春から初夏へあっという間に流れていった。
 その頃の6年生女子は、春には女子サッカーの試合に向けての練習もしていたのでバスケットの練習はその後にすることになったが、勿論習い事などで参加できない子どもも多かった。毎日、練習があるといっても実際は何かの都合でできなくなることも多かったし剛は、練習時間が短いことを恨めしく思い、
(やっぱり1年では無理か)
と不安をかかえながらも子どもたちには
「『例え、シュート10本だけ入れて帰る。』でもいいから体育館に顔を出してから帰ったらだんだんうまくなるよ。」
と声をかけていた。なかなか、そんな手間のかかることをする子は少なかったが、小柄な三井さゆりだけは、正式な練習がない日にも体育館や運動場でよくシュート練習をして帰っていた。
「私、小さいから遠くからシュートを打たなきゃダメでしょ。だから人よりシュート練習たくさんしなくちゃ。」
とよく言っていた。何回かの練習や練習試合の中で頭のいい彼女はちゃんと自分のことを分析してそれを解決しようする力があった。三井につられてシュート練習にくる子も出てきた。
 6月子どもたちは広島に修学旅行に行く。さすがに前日や帰ってきた日に練習というわけにもいかないがやはり 公式試合も近いので『例え、シュート10本だけ入れて帰る。』ことを勧めた。
 驚いたのは前日だけでなく、帰ってきたその日にも三井さゆりをはじめ10人以上の子がシュート練習に来たのだ。今だったら帰ってきた日に たとえシュート練習だけでもやらせたなんて、それだけで問題になりそうだ。

 その頃は年間に公式大会というのは6月と10月の市の大会、そして9月と12月の府の大会たった4回しかない。そして6月の大会で優勝したり12月の大会でベスト4までに入ったりすると上の大会の出場資格が得られる。子どもたちも初めての公式大会への意気込みだけは感じられた。しかし今度の公式大会は最初から強豪の一角、旭ヶ丘小学校と対戦することになっていて勝つことは難しいとわかっていた。
 その初めての公式試合当日、昨年で終わる予定だったのでユニフォームも卒業生に渡してしまうなどの処分をしたので青いゼッケンで出場した。

(今では どのチームも濃淡2種類のユニフォームを揃え、試合の組み合わせによってどちらのユニフォームを着るか決まっているがその頃はユニフォームなどないチームもあって学校のゼッケンをきて公式試合に出るチームも珍しくなかった。)

 せめて、いい試合ができたら。というかすかな願いは無残にも崩れ去った。
 1クオーター目。開始早々10秒で2得点入れられた。(ミニバスケットボールでは3ポイントシュートはなく、フリースローの他は全て2得点となる。
 うちのオフェンスになるが相手のきついゾーンプレスに全く歯が立たない。2人のディフェンスに挟まれるダブルチームになるとピボットを踏むこともできず慌ててパスして相手に取られてディフェンスする間もなく得点される、
 3クオーター目が終わった時点で 31対0。
 
 4クオーター目 相手のチームがベストメンバーを揃えてくると50点以上はとられるな。と思っていたら、ずいぶんとメンバーを落としてくれて いつもは試合に出ていないユニフォームではないゼッケンの子も入っていて それでようやくうちが2点だけとれたのである。
 結果は 38対2。
 真由子がポツリと言った。
「4回のうちの一回があっという間に終わっちゃったね」

 保護者の方にも申し訳なかった。休みの日の初めての公式試合ということでたくさんの方々に応援にきてくださった。ビデオまでとってもらった。きょうだいを連れて家族総出で来てくださった方もいた。

 (あんなに練習したのに ボロ負けじゃないか・・・)
 (修学旅行から帰ってきた日まで「シュート練習」させてたのに・・・)
そう思った方もいたと思うが、

「先生、まだ2か月ちょっとだから仕方ないですよ。次、がんばりましょ。」
そう言ってくださった方がいた。キャプテンの平島美香のお父さんだ。

 ふとみると保護者の中によく見た顔があった昨年もお世話になった石上コーチだ。体調を崩されていて半年以上お顔を見なかったが応援に来てくださったのだ。石上コーチは何年か前のチームの保護者でバスケットボール経験者だ。
「もうお体、いいんですか?」
「ええ、何とか。やっぱり家にばかりいても、かえって滅入るから・・それにしても やっぱり2か月だとゾーンプレスを破るのは難しいわね。また、時々見に行かせてもらっていい?」
「もちろんです。是非お願いします。」
一人でチームを指導するのは大変だ。即座にお願いした。

 バスケットボールのディフェンスは大きく分けて2つ。マンツーマンディフェンスとゾーンディフェンスだ。当時の豊中の小学生女子チームはゾーンディフェンスをさらに積極的な攻めにもつなげられるようなゾーンプレス全盛の時代だ。これで小柄なチームでも能力の高い子が集まらなくても毎年強いチーム作りができる。これは、全国大会に当時何回も出場し、なんと全国優勝もしている上津島(こうづしま)西小の田岡先生がずっと指導されているメソッドだ。その影響で豊中だけでなく徐々に全国にも広まりつつあった。しかし、バスケットボールの基本はマンツーマンディフェンスということで千里中央小の真島先生はいつも時間をかけてでもマンツーマンディフェンスだけを指導されていた。
 今では 子どもの時から「試合に勝つことだけを目指しては基礎がおろそかになる。」ということで、小中学生の大会ではゾーンディフェンスは認められていない。

 うちのチームは千里中央小と一番よく練習をしているのでゾーンプレスという守り方に全く慣れていない。剛は真島先生に頼んだ。
「毎回とは言わないので、ゾーンプレスで試合練習してくれませんか。」
真島先生は
「そうだな。うちは今年 全国を狙えるかもしれないから、それもいいかもしれないな。」
あっさりと引き受けてくれた。

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