N02  この物語はフィクションで 学校名 個人名 団体名は全て架空のものです。
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 意外だったが、まあ同一校で最長10年とも言われているので
(さて、今年はゆっくりさせてもらおうかな。バスケバスケで、家庭サービスもあまりできなかったし・・)そう思いなおして新しい年度を迎えて1週間もたたないある日のこと、谷村絵里が何人かの友だちをつれてやってきた。谷村絵里は1,2年生の時、剛が担任をした小柄な女の子で、とても人なつっこい印象のある子だった。
「先生、もうバスケットやらないの?」
「そうだな。学校のクラブ活動や冬のスポーツ交流会は学校体育だからもちろんやるよ。」
「そうじゃなくて日曜日の試合とか大阪大会とか全国大会とかあるやつ。」
「はっ?君たち6年生だろ。今から始めるの?」
「だって先生、転勤するかも?みたいなことを言ってて募集してくれなかったじゃないの?」
「みんな「『やりたいなあ』って言ってたのに。・・・ねえみんな。」
友だち二人がうなづく。
「転勤しなかったんだからやろうよ。」
「ごめん。ごめん。でも6年生からやり始めても、なかなかうまくならないし・・・」
「そんなこと、やってみなくちゃ分からないじゃないの。」
1,2年からそうだったが ずいぶんと馴れ馴れしい。

(やってみなくても分かっている。「ボール」というものに小さい時から慣れ親しんでいる女の子はあまりいないので、いきなりバスケットボールをやるといってもボールになれるのにまず1年かかる。ドリブル一つとっても最初は「毬つき」程度で手とボールがくっついているようなドリブルはかなり練習をしないとできない。パスにしたって子どもたちがふだんやっているドッジボールとは全然違う。ましてはシュートにいたっては狭い輪っか(リング)の中に入れるのは大変だ。つまり親睦がメインの交流試合ならいいが勝負のかかった試合に参加して勝つの大変なことである。最低5年生いや4年生ぐらいからやらないと・・・)

(最近では1、2年生からやる子どもも珍しくない。)

といいたいところだが、募集してこなかった後ろめたさもあるのでそれは言わずに
「う~ん。でも『みんな』っていうけどここにいるの3人だけでしょ。一体何人の子が『やりたい』っていっているわけ?試合に出るために最低10人。けがや病気もあるから最低15人ぐらいは集まらないと試合に出ることさえできないんだよ。」
と言った。
(子どものいう『みんな』は自分の周りの数人でもそれが自分にとっての世界なので『みんな』なのである)。
「わかった。じゃ『みんな』を集めるから日にちを決めといて。」
そう言ってさっさといってしまった。人なつっこいだけじゃなく行動力のある子だ。
 しかし、そう簡単に人は集まらないだろう。諦めて納得してもらうためにも(日にちだけは決めて話を聞こうかな・・)そう思って日にちを設定して管理職と6年生の担任に
「たぶん再スタートはしないと思いますが、ひょっとしたら・・・」
ということで説明会の了承をしてもらった。
 さて設定した日に理科室に集まってきたその数を見て剛は驚いた。その数50人弱。なんと学年全部の女子の半分近くいるではないか。しかも授業開始のチャイムがなっても全員が集まっていてすぐに授業を始めることなどあまりないのに昼休憩の決められた時間通りにみんな集まっている。
(いくら1,2年生の時担任して面識があるからといっても、いくら、谷村絵里の行動力と人脈がすごいといっても。ここまでとは・・エライことになっちゃったな!もう、後に引けないじゃないか!)
正直な感想であった。
「たくさんの人が集まってくれてありがとう。正直、驚いています。」
谷村絵里が立ち上がっていった
「先生、これだけの子がやりたいと言っているんです。やってくれますよね。」

今から考えればあの頃は習い事に行っている子も少なかったし、YouTubeもSNSもスマホもなくTVゲームが少しずつ男子の中ではやってきた時代。女子児童にとって夢中になるものが今より少なかった。

剛は言った。
「みんなに言いたいんだけれど、これは『社会体育』と言って先生がしているけど学校の活動ではありません。けがをした時のために別の保険にも入ってもらわなくてはいけないし試合でも他のチームと親睦をはかることだけが目的ではなく、いわゆる『勝負』としての試合をするわけです。」
「知ってます。」
「去年は西日本大会に出たんでしょ。」
「今年は全国大会に行きたいな。」
「1年じゃ無理でしょ。」
「じゃ近畿大会ぐらいかな。」
「それ大阪のベスト4だよ・・ちょっと無理じゃない」
口々にしゃべりだした。
(あ~。ちょっとじゃなくてほぼ無理。)
(『大きくなったらサッカー選手になってワールドカップに出たいです。』のノリだ。しかも1年もないのに。西日本大会は夏の大阪大会で優勝すると出られ全国大会は冬の大阪大会で優勝すると出場権が得られる。近畿大会は冬の大会のベストフォーが条件だ。そんなことは無理だ。しかし、やる以上、一年間 ずーっと負け続けて終わったら後悔するだろうなあ。やらなきゃよかったと・・)
剛はこう言った。
「目標を高く持っているのは いいことですね。でも、そのためには、いっぱい練習をしなくてはダメですよね。基本的には毎日、時には土曜も日曜も練習があります。去年もそうしてきました。」
「エーッ。それじゃ全然遊ぶ暇ないじゃん。」
「私、習い事あるし。」

 理科室が、ざわついた。

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