N14  この物語はフィクションで 学校名 個人名 団体名は全て架空のものです。
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 全試合が終わって結局、大阪4位だった。
真島先生率いる千里中央小は優勝して全国大会への切符を手にした。
自販機で石上コーチと暖かいコーヒーを買って飲んでいると珍しくここ2年間は大阪の決勝に残ってこない上津島西小の田岡先生がやってきて
「近畿やな。おめでとう!」
「ありがとうございます!」
「しかし、6年から始めたのにすごいな。よう あんだけ運動能力の高い子ばっかり集められたな。」

「はい偶然・・かな」
(と言ったが そうじゃない!偶然にしてはでき過ぎている。身体能力だけでなく頭もいい。スポーツは身体能力だけで勝てるわけではない。両方そろっているなんて奇跡だ。そして一番の奇跡はバスケットボールのプレーヤーとしての経験もない素人コーチの私にまじめについてくる素直な子どもたち、そしてそれを応援してくれる保護者や石上コーチ、真島先生に出会えたことだ。)

 練習してきた甲斐があったなあと思いながらも、近畿大会や全国大会に向けて緑北小学校と千里中央小学校は冬休みも練習を続けた。

 年が明けて三連休も明けた1月17日火曜日午前5時46分 阪神淡路大震災。

 今まで経験したことのない地震で電車も止まっていたが剛は額の軽い傷にテープをはって自転車で緑北小学校に向かった。ガラスが道路に散乱し瓦礫をさけて行ったのでずいぶんと時間がかかったがなんとか職場についた。
 幸い学校や子どもたちに大きな被害はなかった。しかし職員の中には神戸の親戚の人を亡くした人もいた。
 被害の情報が日に日に増していく中で剛は、兵庫県で行われることになっていた近畿大会は中止になるだろうなあと漫然と思っていた。数日後 正式に中止の連絡が入った。仕方ないなあと思うと同時に決勝戦にもう少しだという時に 

ふと 目の前の試合を諦めて、
(これで十分だよ。千里中央小とやって歯が立たないところを見られるよりも・・・)
と思ってしまったことを後悔した。

 目の前の一試合一試合に全力を注ぐ・・変に満足してしまわない。一昨年の広島の西日本大会で痛感したはずなのに また満足して諦めてしまった。

一期一会。
「相変わらず『学習』しない男だな。」自嘲気味に剛は、独り言を言った。
頭の中で 1年前のことを思い出していた、

「イケー。ベストポジションに行けー。」
声を涸らしながら、叫んでいる声が聞こえた。

 ここは広島。全関西ミニバスケットボール決勝トーナメント第一試合。
熊本県飽田小学校 対 緑北小学校の対戦。

 真島先生と一緒に 相手の飽田小学校の練習をみて驚いた。
「あれで小学生のチーム?」
まるで中学生のような体格と技術の子どもが何人もいる。

 これは厳しいな。試合になるだろうか?そんな言葉を二人で交わしていたが子どもたちは相手のことなど気にもせず昨日予選リーグを快勝した勢いそのままに最後のフリースロー練習では何と試合に出る10人とも連続でフリースローを決めて戻って来た。
「絶好調やな。よし その調子でやったら大丈夫や!」
不安を振り払うように送り出した。

 1クォータ目終了。
 なんと11対6と リードしているではないか。小柄だが動きの速いうちのチームのドリブルに大柄な選手はついファールを連続して取られ ディフェンスがやや甘くなったので一気にドリブルで抜き去りマンツーマンディフェンスのカバーの遅れを誘い2対1の状況を作って ゴール下からの得点を重ねることができた。
 
 2クォータ目 相手はメンバー総入れ替えで来たが流れは変わらず終了時点で21対15リードを1点だが差を広げることができた。

だが第3クォータ、
 相手のベストメンバーは引いたゾーンディフェンスに切り替えてきた。外からは打たしてくれるが、リズムを崩したうちのチームはシュートを外しだした。リバウンドを取られ見事な速攻を決められ、すぐに相手はゴールに下がって手を広げた。
 体格の良い選手が多くいてゴール下を固められる。それだけでもプレッシャーを感じるし実際、中に切り込んでのシュートが打てる状況ではなく、外からの攻めしかなくなってしまった。じりじりと追い上げられ、点差は25対23の2点差、つまり1ゴールまでつめられた。

4クォータ目
 ついに同点にされ残り1分で2点ビハインド。うちの攻撃。普段は試合中、大きな声では応援されない真島先生も必死で応援されている中、剛は
(残り1分で 同点にするのに今の攻撃の点を入れる必要がある。しかし同点になっても逆にすぐ速攻をくらうだろうし、もし同点のまま延長戦になってもあのチーム相手には勝つことは無理だな。しかし、あれだけのチーム相手に ここまでの試合ができるなら冬の大会に十分 全国目指して戦うことができるはずだ。)そんなことをふと考えていた。
その時だ。
「イケー。ベストポジションに行けー。そしてシュートだ。」
上のスタンドから涸れた声が聞こえた。
声の主は、チームキャプテンのお父さんだ。自分の娘に必死の応援だ。体調がよくない中、無理をして娘の応援のためチームに同行してくださったのだ。
「イケー。ベストポジションに行けー。」
娘は 自分のベストポジションからシュートを打った。

「入れー!」
「ワ~」という歓声。

頭の中にその音が渦巻いているときに 剛は現実の声に我に返った。

地元のとある会館。
「緑北ミニバスケットボール部、ご代表様」
葬儀の司会の方のアナウンスだ。ボーッとして自分のことだと思った時には次の方が呼ばれていて代表焼香には行けずに一般焼香に回った。

 夏休みに広島に一緒に行ったキャプテンのお父さんは11月に亡くなった。娘や我々には一切 そんなそぶりは見せなかったが、夏の時点で余命 あと数か月だったそうだ。
 つまりお父さんにとっては あれが娘の試合を見るおそらく最後だろうとわかっていた。だから、一時退院までして応援に来られたのだ。
(あの試合に勝って3位 あるいはもう一勝して優勝)
そんな お父さんの願いをよそに、私はその試合を諦めて、次の冬の大会のことを考えてしまっていた・・・・
あのシュートは入らず、結局 2点差で負けてしまった。

 大阪に帰ってきてキャプテンの父は 娘に
「奈緒(キャプテンの子の名前)、お父さんは大阪の予選からずっと試合を見せてもらっていたが、本当によく頑張ってきたなあと 思う・・・」
こみあげてくるものをグッと 我慢しながら
「広島では惜しいところで残念だった。でも・・・また次がある・・・それを目指して頑張りなさい。・・・」

 ふだんはめったにほめてくれない父に褒められて、奈緒はうれしかった。
そういえば 広島に行く前 褒めてほしいときにも褒めてもらえず「ダメだし」する父なので
「お父さんには広島に来てほしくない。」
と父に言うと いつもは優しい母が いつになく怖い顔をして
「何 言ってるの!お父さんに ちゃんと見てもらいなさい!『来てください。』って言いなさい!」
と怒られらたなあ と思い出した。

 あの時父は どんな気持ちだったのだろうか。来てもらって良かった。娘は思った。

 その父も悲しみの感情をこらえながらも娘を心の底から褒めることができて ホッとしていた。

お父さんの訃報を聞いたとき 剛は思った。
 
あの時お父さんは どんな思いで試合を見ていただろう。
 
負けてしまえば、それが娘の勇姿をみる最後になる。
娘たちには「次」はあるが自分には次は来ない・・・・。

観客席でそんな思いで応援している人がいるのに自分は・・・そう思うと涙が止まらず、胸が締め付けられる思いがした。

 昨年度のことを思い出しながら近畿大会がなくなったのを知った剛は
(昨年度の広島への大会参加は 勿論 奈緒たち子どもの頑張りが一番だが、ある意味、神様のプレゼントだったのかもしれないな。)
そう思った。

 5月の大会では強豪の上津島西小に当たったが 奇跡的に勝利を収めることができた。というのも上津島西小は3月の全国大会で見事優勝をして祝賀行事や新聞社などの対応で新チームの体制作りがおくれていたのだ
 そして緑北小は豊中の大会で2位だったにも関わらず、1位の服部南小が広島での試合の日が他の遠征試合と偶然重なったので急きょ、夏休み前の大阪大会に緑北小が出ることができた。
 ラッキーなことに前にも(No8)書いたように、大きな体育館が取れなかったので小学校の横の狭いコートで大阪大会が開かれたので我がチームには有利な条件でなんとか優勝できて広島への切符を手にしたのだ。

 その年の大阪大会では昨年、上津島西小が全国優勝したので 大阪から全国大会に2校出場できるチャンスがあった。
 緑北小は決勝まで 実力No1の服部南小や秋には負けている上津島西小とさえ当たらなければ大阪2位になれる可能性は十分にあり、全国大会に行けると信じていた。
 しかし抽選結果は準々決勝で服部南小と当たり やはり負けてしまった。

 そして、その年の近畿大会は大阪2位が全国大会にいくのでベスト8で負けた4チームの中から1チーム近畿大会に行ける。優勝校に負けたチームが行けるという話もあった。
 もしそうならうちが行くことになる。しかし、「平等に」ということで結局4校の抽選になり、確率4分の1の当たりくじを引くこともできずに近畿大会にも行けずに終わった。

全国大会、近畿大会という大きな大会への道のりは遠い。 そう思った。

 ちなみに飽田小学校はあの夏の西日本大会で優勝し、次の年の3月の全国大会では優勝校に惜しくも負け3位になっている。

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