N12  この物語はフィクションで 学校名 個人名 団体名は全て架空のものです。
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 「第一回北千里丘カップ」
 「ケガ人」は出なかった。
さらにラッキーなことにそれほどの強豪チームは来なかったとはいえ
そこで優勝してトロフィーを持ち帰ることができた。
 チームにバスケットのミニノート(誰が用意したのか知らないが・・)があって
練習に誰が参加したとかどこと練習試合して結果がどうだったとか書いたものがある。
その日の日記には「第1回北千里丘カップ もらったぜ!」と一言。
ピースサインとトロフィーの絵がかいてあった。

 「よし、これで波に乗れるぞ。」

 いよいよ 府の大会。近畿大会や全国大会出場をかけた一番大きな大会だ。府大会常勝校、豊中の上津島西小学校の田岡先生は言う
「私はこの大会に勝つために いつも子どもたちに言っていることがある。
『府の大会前には99回相手チームに負けてもいい。
最後の一試合、この府の大会に勝てば全国に行ける。』と」

 この府大会に照準を合わせた見事なセリフだ。

 まあ、実際は全国へ行くために いつどこと練習試合をするか、よく考えて組んでおられたが・・・。
 そしてその結果 大方の予想を覆して本命と呼ばれるチームを倒して全国に何度もいかれている。
 
 1992年冬 5年生中心チームの上津島西小が、全国に確実に行くといわれていた茨木のチーム(遠征試合では全国でもベスト4になるといわれていた)と決勝で当たり1クォータ目で10対2とリードされていた。

(さすがの 上津島西も今年は無理か・・・)
わたしを含めて会場にいるみんながそう思ったが上津島西チームは違った、そこから点差を開けられることなく徐々に点差を詰めていき何と4クォーターの最後には逆転勝ちをおさめている。
観ていた私は鳥肌がたった。
なんと粘り強いチームなんだ。

 そのチームはその年度、全国大会に行き 次の年度に6年生になった子たちが昨年の経験を生かしてプレッシャーをはねのけ見事全国制覇を果たしている。

 1994年12月。府の大会がうちのチームは泉大津の体育館から始まった。1回戦、わがチームはシード校で2回戦の泉大津小学校と対戦。問題なく試合を進めることができた。それで
ふだん試合に参加できない子も出場させることができた。だんだん上にあがっていけば18人のうち10人しか試合に出せないからだ。

場所を変えた3回戦も勝ち進んだ。

 4回戦。いよいよ豊中の曽根中央小学校との対戦だ。1つ目の難関だ。
1クォータ目 ベストを出して11対4。いい滑り出しだ。
 緑北小学校のチームカラーはスタートダッシュだ。
どのチームも第一クォータは緊張して動きが硬い。寒い冬の大会ではなおさらだ。
ここでガツンと点差をつけてリードすると相手は緊張が焦りに変わって相手本来の動きを封じ込めることができるのだ。
しかし、曽根中央小学校は じりじりと追い上げてくる。
(時間よ。早く進め。)と祈るが、よけいに時間の進みは遅い。
4クオータ目、残り1分で 24対22。
2点差まで詰め寄られた。

 2年前の 上津島西チームの試合が頭をよぎった。

(この攻撃にかかっている。得点できなければ、やられる!)

 相手も背が高いのでゴール下からフリーではなかなか打たせてもらえない。藤中由美は自分でシュートするのをあきらめ外でフリーの三井さゆりにパスした。
「さゆり シュート。」
見事に決まった。その後、相手も速攻で2点取ったが 26対24。
ピー。
試合終了。

 かろうじて2点差で逃げ切った。相手チームが泣きながらこちらのベンチに挨拶にきた。剛は手を大きく広げて大きな拍手しながら肩をなでおろした。

シード校相手の厳しい試合はつづく。

 次の日は高槻の芝上小学校。ここのコーチも大阪のミニバス関係者が知らない人はいない有名な方だ。芝上に移ってまだ2年。きちんとチームを作ってこられた。うちのチームを見て「いける(勝てる)。」と思われたのかもしれない。1クオータ目にエースの9番を温存して試合に臨まれた。うちは相手チームを直接見たことはない。

 しかし北千里丘カップ以来うちは波に乗っていた。
この大会で見違えるほどうまくなり自信もつけてきた。
イケイケのムードで1クオータ目終了時点で 10対0。
 
予定通りだ。いや予定以上だ。

 しかし、2クォータ目から出てきた相手のエース 9番はオフェンス力がすごかった。
誰にも負けないドリブル突破力。止めようとするとファールになる。
今回の大会のトップ5には入るプレーヤーだ。なんと一人で2クォータ目だけでフリースローの1点を含めて11点もたたき出した。
こちらは、なんとかファールをもらいフリースローで得点を重ねていったが2クオーター終了時点で17対14。10点差あったのに一気に3点差まで詰められた。

第3クォータ。メンバーが変わって、うちの攻撃力がアップした。まず高さを生かした攻撃で2点を加えた。19対14。しかし、相手は9番にボールを集めドリブル突破でまた9番に決められた。再び3点差だ。相手の9番は「私が何とかしなくちゃ。」と思っていたのだろう。休む暇もなく攻め守り続けた。

(もはや、ここまでか。9番は止められない。)

そう思ったとき、隣の石上コーチが言った
「先生、タイムとりましょ。」
3クオータ目で作戦タイムを取ってしまうと4クオータ目には取れない。しかしこのクォータが勝負の分かれ目になる。石上コーチは11月の市民大会の流れを思い出したのかもしれない。あの時は遠慮してタイムを取ろうといわなかったのかもしれない。
石上コーチに任そう。

「タイム、お願いします。」
石上コーチは子どもたちに言った。
「いい。9番は確かにうまい。けどバスケットは一人ではできないの。相手チームは9番に頼りきりになってるでしょ。いつもとは違うはず。いつもと違うことをするとリズムが狂うの。相手のリズムに乗らないで。うちはいつも通り思いっきり攻め必死で守る。ただファールはだめよ。この試合の審判、ファールに厳しいでしょ。」

確かにそうだ。両チームとも2クオーター目にはチームファールが7ファールになっている。
(その頃のルールでは前後半(2クォーターずつ)でチームのファールの合計が7つを超えると全てのファールに相手のフリースローが与えられた。

「それにいくら9番がうまいといっても千里中央小の4番にはかなわないでしょ。」
石上コーチが言った。子どもたちが大きく頷いた。千里中央小の4番は間違いなく大阪No1のポイントガードだ。

 試合再開。子どもたちの硬さが消えた。パスをもらった藤中由美がハイポストでターンしてからシュート。きれいに決まった。三井さおりやこの藤中由美が府の大会では好調だ。今までベストメンバーの中では目立たなかったが、二人とも四月からの真面目な練習がここにきて実を結んだ形だ。5点差だ。相手の攻撃にもいつもどおりのゾーンプレス。9番にボールが渡る前にカットだ。成功した。
「マイボール。行けー。」

 次の瞬間。ピー 笛が鳴った。
相手のファールだ。しかも9番、5ファールだった。

 5ファールになると退場で試合に出られない。泣き崩れてベンチに戻る9番を見ながら、いきなり10点差をあけられて焦るなといっても無理だな。石上コーチはさすがだ。結局、4クオータ目は途中で相手もメンバーを落として6年で今まで試合に出られなかった子を出してあげようとしたのでうちもメンバーを落とす余裕ができた。
 結果は 40対24。
結果だけ見ると楽に勝ったように見えるが、相手が平常心で普通に試合をしていたら、
9番が最初から出てきたらおそらく負けていただろう。

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